漠然と曖昧なままに使われている「教養」という言葉に,明確な意味を与えようと試みている.日本には,開国以来日本人が憧れを抱き続けている西欧の近代的な個人は存在せず,制度だけが西欧化されたために,様々な問題を抱えるようになったとする.建前と本音が大きな隔たりを持ちながら共存せざるを得ないのも,そのためだという.個人は独立して存在せず,他者との繋がりの中,すなわち「世間」の中に現れるのであり,「世間」における自分の役割を認識し,自らの生き方を通して自然な形で「世間」に働きかけてゆくことができる人が「教養のある人」であると論じている.難しくて,きちんと理解できていないが,そういうことらしい.
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