生後7年に行われる驚くほどの成長は,筋肉や骨が成長し,それらを調節できるようになるという,絶え間のない変化が積み重なって達成されます.この年代には,子供は主に反復と動きと自分の周りにあるすべてを模倣することを通して学びます.静かに座っているのは,子供にとってほとんど不可能であるだけでなく,不健康なことです.子供はすべてを自分の体を通して理解したいのです.例えば,幼稚園児は意志と体と動きに中心化しています.
7歳から14歳の間は感情が成熟していく時です.この年代の子供は,古代ギリシアやアメリカ開拓者の生活はどんなだったかというような「イメージ」が与えられるととても熱中します.したがって,教室でも芸術的かつ想像的な手法で教えれば,子供にとって訴えかける力も大きく,学びやすく,記憶しやすくなります.この年代の子供は,呼吸や循環過程のようなリズミカルなシステムに中心化しています.この年代の子供には音楽が特に大切です.音楽には常にリズムがあり,また,多くの場合「呼吸」と密接に結びついています.呼吸と心臓は感情との結びつきがとても強いのです.
14歳から21歳という時期の子供は,この時期に初めて,本当の意味で「頭」,つまり世界を分析したり,批判したりすることに中心化します.性的な器官が成熟するこの時期は,確かに身体的にも大切な変化が起こる時期であり,また感情の面でも激しさを見せることがあります.けれども,理性と抽象的な思考の力こそが,この時期に生まれる新しい要素です.この時期には,幾何学や物理学といった学科で,この力を使うことが必要です.同じように,原因と結果を理解する能力も,この時期に初めて現れるようになりますので,例えば「西欧文明における傾向」といったテーマは,高校生にとって初めて意味を持つようになるのです.独立した自分の判断というものが生まれ始めるのはこの時期です.
身体,感情,思考が次第に成熟するにつれて,ようやく大人としての責任が取れる条件が整い始めるのです.
子供は3歳までに食べるものが好きになるということを数多く見てきました.例えば,私は一番下の娘に,3歳以前には鶏肉以外の肉をほとんど与えませんでした.シュタイナーが,鶏肉以外の肉はとても濃密で幼い子供には不適切だと語っていたからです.私たちは菜食主義ではありませんが,娘は今でもこれらの肉を食べず,豆腐の方が好きです.また,私の友人は,子供が3歳になるまで砂糖やお菓子を全く与えずに育て,幼稚園に入るようになってからは,お菓子を食べてもいいことにしました.その子が誕生日パーティなどでカップケーキや他のお菓子をほとんど食べたがらないのを見るのは興味深いものでした.
お宅では寝る時間はどんなですか.夜には毎日決まったことをして決まった時間に寝床に入る,というようなリズムがありますか.そういったリズムは子供を穏やかにし,文句を言うようなことが少なくなります.そして,大きくなれば,自分で寝る支度ができるようになりやすいのです.
どうやって眠りに入るかは,体も精神もリフレッシュするために大事なことです.眠りに入ることは,霊的な世界,夢とインスピレーションの世界への入口です.小さな子の場合,夕食後の時間全てがお休みの時間へと焦点が合わされます.静かな遊びとお片付け,必要であれば,お風呂,歯磨き,パジャマを着ること.ゆっくりしゃべったり,静かに歌ったりすることは,お休みの時間の静かな雰囲気を作ってくれます.ろうそくを灯し,寝る用意のできた子供と一緒に寝室に入るときはささやくだけにすれば,穏やかさと分かち合いの雰囲気が生まれます.歌をいくつか歌ったり,物語を語ったり,子供の魂を神聖な世界と結びつけるような誌かお祈りを唱えたりすることが,子供が平和に眠りに落ちるのを助けてくれます.キンダーハープで曲を弾くのもいいでしょう.ろうそくの暖かくて柔らかな光は,歌や物語の時間に相応しいものです.
子供に毎日できる小さな仕事,例えば魚に餌をやったり,植物に水をやったりするような仕事を与えること,特に,いつも決まった時間にする仕事があることは,とても良いことです.自分の周りの世界を定期的に世話することを学ぶわけです.その後の人生にとって,これは確かに大切なことです.
マリア・モンテッソーリもシュタイナーも,子供に知的なことを直接教えてはいけないと述べました.モンテッソーリは,子供は体を通して学ぶべきだとしました.シュタイナーはもっと徹底しており,概念は歯が生え代わる以前の子供に教えられてはならないとしました. シュタイナーは,体がもっと成長し,急激な成長のために使われていたエネルギーが解放されて,イメージや記憶の能力が生まれてくるまでは,創造的遊び,想像力,模倣,動きのあるゲームや指遊び,手芸や芸術を強調したのです.
シュタイナーは,約7歳までの子供に早期の知的学習をさせ,知性と記憶を直接要求すると,身体の発達のために必要なエネルギーを使ってしまうので,後に問題が起こるとしました.幼い子供の身体的発達のために使われるエネルギーと同じものが,後の知的な発達のために使われるとしたのです.だから,知性には直接働きかけず,実際の経験と模倣を通じて学習していく形を勧めたのです.
多くの親たちが「教育的なテレビ番組だけしか見せていません」と言って,子供にテレビを見せる時間を買うことを正当化しています.けれども,テレビを見ている子供は身体を動かしません.そして,テレビの画面から与えられる感覚的刺激の質は貧しいものです.テレビ番組の内容にかかわらず,これらのことが,幼い子供にテレビを見せること自体を問題のあるものにしているのです.テレビは,大人にとっては情報源そして気晴らしとして大切なものでしょう.けれども,子供は,大人と異なった発達段階にいるのです.
ジョン・ローズモンドは「子供とテレビ」という文章でこう言っています.「子供がテレビを見ているところを観察してみると,子供が何をしているか,あるいは何をしていないかが分かるでしょう.子供は次にあげるようなことをしていません.運動技能の練習,目と手の協調の練習,2つ以上の感覚を使用する,質問をする,探索をする,自発性を発揮する,挑戦される,問題を解決する,分析的に考える,想像力を使う,コミュニケーションの練習,創造的・建設的であること.されに,テレビは細切れのシーンが感覚的に繋がっていることが多く,長い時間に渡る集中力や論理的な思考力を養いません.」
ローズモンドは,ここにあげられたような能力の欠如は,学習障害の子供の特徴であると言っています.学習障害は,最近増加している現象です.テレビがその唯一の原因だというわけではありませんが,私達の文化の中でテレビが大きな位置を占めるようになった1955年以降,学習障害が問題化しているという事実を見る必要があります.
ある研究によれば,変化する視点や画像を解釈する能力は,11歳ぐらいにならないと身に付かず,それよりも幼い子供は,最も良質な教育番組を見たとしても,基本的に内容を理解できないとのことです.
マリー・ウィンは著書「テレビという麻薬」において,「子供がテレビで何を見るかではなく,テレビを見ること自体が子供にとって害なのです.」と強調しています.テレビを見ることによって,右脳と左脳がバランスの取れた形で発達できなくなるというのです.左脳は言語的,合理的思考をコントロールします.テレビ視聴者はイメージの洪水にさらされ,その中では考える必要がなく,あるいは考える時間さえないのです.
10歳あるいは11歳より前に,子供のテレビ視聴時間を厳しく制限することは,恐らくあなたが子供に贈ることのできる最大の贈り物の1つです.
幼い子供を育てる上での本当の仕事は,親が自分自身を高める努力をすることです.それこそが,子供のスピリチュアルな飢えを満たす基本的なものです.大人が自分自身を成長させる努力を絶対に止めないということがです.私達の誰もが完全に自己実現した人間だとは言えませんが,私達が努力し,意識し,切望しているという事実は子供に伝わります.そしてそれは,完全な物質主義あるいは信心家ぶる態度よりも,はるかに価値のあるものです.このどちらも子供は見通します.虚偽として拒むことすらあります.
私達は最善を求めてできる限りの努力をするだけでなく,より良く行動するために努力することができます.というのは,小さな子供と共にいる親の一番大切な仕事は,自分自身を内的に成長させることだからです.小さな子供は,私達を完全で善いものとして受け入れます.そして子供が大きくなり,私達の不完全さを見るようになったとき,一番大切なことは,私達がより良くなろうと努力しているところを見ることです.内的に成長したいという私達の望みは,子供によって認知され,とても深い影響を与えます.
また,感謝も大切な感情です.子供が模倣しようとする世界において,子供が自分の周りの誰もが皆,世界から受け取るものに感謝することを目の当たりにできたら,子供の中に人間的な良い態度を育てる上で大切なことがなされたことになります.感謝は最初の7年間に属するものです.
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