ネクスト・ソサエティ ― 歴史が見たことのない未来がはじまる

ネクスト・ソサエティ ― 歴史が見たことのない未来がはじまる
P・F・ドラッカー,ダイヤモンド社,2002

ネクスト・ソサエティ ― 歴史が見たことのない未来がはじまる

少子化と知識労働者の台頭を中心に,来るべき社会の姿を描く.

「ネクスト・ソサイエティ」についてのメモ

「ネクスト・ソサイエティ」についてのメモ

知識労働者の特質は,自分を労働者ではなく専門家と見なすことにある.知識労働者自身および社会による彼らの位置づけは,学校教育で得た知識によって行われる.その部分が彼らを知識労働者として位置づける.したがって,知識労働者には二つのものが不可欠である.その一つが,知識労働者としての知識を身につけるための学校教育である.もう一つが,その知識労働者としての知識を最新に保つための継続教育である.今までとの違いは,社会人のための継続教育が加わるということだけである.これまで学校は,仕事に就けば終わりだった.しかし,知識社会では,学校に終わりはない.知識は急速に陳腐化する.そのため,定期的に教室に戻ることが不可欠になる.知識労働者のための継続教育がネクスト・ソサエティにおける成長産業となる.

知識労働者にとっても報酬は大切である.報酬の不満は意欲をそぐ.しかし,意欲の源泉は金以外のところにある.知識労働者のマネジメントは,彼らが組織を必要とする以上に,組織が彼らを必要とするとの前提のもとに行われなければならない.彼らは,いつでも辞められることを知っている.働く場を変わる能力を持ち,自信を持つ.要するに,NPOのボランティアのように扱い,マネジメントしなければならない.知識労働者にとって大事なことは,第一に組織が何をしようとしており,どこへ行こうとしているかを知ることである.第二に,責任を与えられ,かつ自己実現することである.最も適したところへ配置されることである.第三に,継続学習の機会を持つことである.そして,何よりも敬意を払われることである.彼ら自身よりも,むしろ彼らの専門分野が敬意を払われることである.

社会に極めて大きなインパクトを与えた産業革命が,実際に最初の50年間にしたことは,産業革命以前からあった製品の生産の機械化だけだった.確かに生産量を大幅に増やし,生産コストを大幅に引き下げた.大衆消費者と大衆消費財とを生み出した.しかし,製品そのものは産業革命の前からあった.やがて,1829年に鉄道が現れ,世界の経済と社会と政治を一変させた.鉄道こそ,産業革命を真の革命にするものだった.経済を変えただけでなく,心理的な地理概念を変えた.この2世紀前の産業革命の初期の頃と同じように,1940年代半ばにコンピュータの出現とともに始まったIT革命は,今日までのところ,IT革命前から存在していたもののプロセスを変えたにすぎない.情報自体にはいささかの変化ももたらしていない.IT革命が行ったことは,昔からあった種々のプロセスをルーティン化しただけだった.IT革命にeコマースの位置は,産業革命における鉄道と同じである.全く新しく,全く予想外の展開である.鉄道が生んだ心理的な地理によって人は距離を征服し,eコマースが生んだ心理的な地理によって人は距離をなくす.もはや世界には1つの経済,1つの市場しかない.

アメリカさえ,情報リテラシーについては,本来あるべきところまでは来ていない.コンピュータを使うことは最低限の能力に過ぎない.10年あるいは15年後には,コンピュータではなく,情報を使うことが当たり前になっていなければならない.今日のところ,そこまでいっている者はごくわずかである.

最近,情報の視点から組織改革が行われるようになった.情報を経営資源として捉えるならば,階層の整理が俎上に上らざるを得なくなる.マネジメント上の階層のほとんどが何もマネジメントをしていないことが明らかになる.それらの階層は,トップとボトムから届くかすかな信号を増幅しているだけである.情報理論の第一法則によれば,あらゆる中継器が雑音を倍増しメッセージを半減させる.同じことが,人のマネジメントをせず事業上の意志決定もしないマネジメント階層についていえる.それらの階層は情報の中継器にすぎない.したがって,そのような階層は必要ないということになる.

ところが,ここで問題が生ずる.階層を減らしてしまったら,どのように昇進させたら良いか.これからは四つ以上の階層を持つ企業はなくなる.しかし,そもそもCEO自身が,階層の多さは組織構造の失敗を意味するとの事実を受け入れられるだろうか.階層を減らしたならば,どのように報い,認めたら良いのか.さらには,どのようにして部門を越えた能力を身につけさせるか.いずれも大きな問題である.答えはわかっていない.少なくとも報酬を増やさなければならないことは確かである.これまでの30年,多くの企業が昇給の代わりに昇進を与えてきた.報酬を増やさずに昇進させた.そのような時代が終わったことは確かである.

19世紀,20世紀には,自らの業界に特有の技術,重要な技術は,業界内で生まれるものと考えて良かった.ところが,いまや企業内研究所なるものの考え方そのものが時代遅れとなった.その最大にして最後のものがIBMの研究所だった.比肩するもののない存在だった.だが,コンピュータ産業に大きな影響を与えたもののうち,IBMの研究所で生まれたものは1つもない.しかも,そこで生まれたもののうち,IBMが使えたものもほとんどない.AT&Tのベル研究所や製薬会社の研究所も同じだった.今日の技術は,19世紀の学問分類とは関係がない.互いに入り組んでいる.混沌としている.今日ではあらゆる産業と企業が,技術の種を外の世界に求めなければならなくなった.ところが,我々は外の世界についてほとんど知らない.たとえ世界一の研究所を持っていたとしても,業界の景色を変える技術や製品はでてこない.研究所もまた,情報システムと同じように内側を向いているからである.

ほとんどあらゆる組織にとって,最も重要な情報は,顧客ではなく非顧客についてのkものである.変化が起こるのは,非顧客の世界である.絶滅の危機に瀕しているアメリカのデパートについて見てみよう.かつて,デパートほど自らの顧客についてよく知っている業界はなかった.1980年代まで顧客をしっかりつかんでいた.しかし,非顧客については何も情報を持たなかった.デパートは小売市場において,28%という抜きんでたシェアを誇っていた.しかし,ということは,72%の消費者はデパートで買い物をしていなかったということである.デパートはそれらの人についての情報を何も持たなかった.関心さえ持たなかった.そのため,新しく登場した消費者層,特に豊かな新しい世代がデパートへ来ていないことに関心を持たなかった.ところが,1980年代も終わり近く,その非顧客が買い物傾向を左右する層となった.自分達の顧客ばかり見ていたデパートは変化に気づかなかった.

面白いことに,インターネットの影響は企業よりも非営利の組織に対して大きいものとなる.特に高等教育に対する影響が大きい.基本的な生産要素となるブレイン・パワー,つまり頭脳のコストが急速に上昇している.極めて高額になっている.アメリカでは,能力のある独創的な人達の人件費が信じられないほど高くなった.インターネットが教育に与えるインパクトは,企業に対するよりもはるかに大きなものとなる.全体として知識労働者の労働可能年限の方が,雇用主たる企業の寿命よりも長くなる.歴史上はじめてのことである.これからは誰もが,高度の知識,しかも専門化した知識を持たなければならない.その結果,高等教育の重心が,若者の教育から成人の継続教育へと移行していく.

今日の組織構造はマネジメントの階層を基本に組み立てている.それらの階層は,ほとんどが情報の中継器にすぎない.他のあらゆる種類の中継器と同じように出来が悪い.情報は伝えられるたびに内容が半減する.これからはマネジメントの階層が急減する.その代わりに,情報を中継すべく残された者は極めて有能でなければならなくなる.

知識は急速に陳腐化する.したがって,専門的な継続教育が成長分野となる.経営幹部用のマネジメントプログラムも,5年以内にオンラインで行われるようになる.eラーニングは教室と教科書双方の利点を持つ.教科書では一人だけ16頁に戻れる.教室では無理である.その代わりに教室では反応がわかる.eラーニングでは双方のメリットを享受できる.

知識労働者の生産性の重要度については強調しすぎることがない.知識労働の特性は,働き手が労働力ではなく資本だというところにある.資本の働きを決めるものは費用の多寡ではない.量でもない.知識を基盤とする企業は,彼らのとっての資本の生産性,すなわち知識労働者の生産性に焦点を合わせなければならない.知識組織のリーダーたる者は,将来性のある知識労働者のために時間を使わなければならない.彼らを知り,彼らに知られなければならない.彼らを導き,彼らに耳を傾けなければならない.挑戦し,激励しなければならない.

日本のエリート指導層は,アメリカの指導層まがいのものとは行動様式が異なる.アメリカで指導層の役割を果たしているのは,まさにアメリカ的存在ともいうべき政治任命の行政官と議会スタッフである.これに対し,日本の指導層は官僚機構である.当然,それは官僚として行動する,ドイツの偉大な社会学者マックス・ウェーバーは,一般的現象としての官僚の存在を明らかにし,その特質は経験を準則化して自らの行動基準とすることにあるとした.今日の日本の官僚の行動,特に危機的な状況をめぐっての行動は,三つの経験,うち二つは成功,一つは失敗の経験を基準としている.

最初の成功は,農村部の非生産的な人口という戦後日本の最大の問題を,何もしないことによって解決したことだった.今日の日本の農業人口は,アメリカとほぼ同じ2,3%である.ところが,1950年には,アメリカでは20%,日本では60%を占めていた.特に日本の農業の生産性は恐るべき低さだった,日本の官僚は問題解決への圧力に最後まで抵抗し成功した.彼らといえども,非生産的な膨大な農業人口が経済成長にとって足枷であり,生産しないことにまで補助金を払うことは,ギリギリの生活をしている都市生活者に犠牲を強いることになることは認めていた.しかし,離農を促したり,米作からの転換を強いるならば,深刻な社会的混乱を招きかねなかった,そこで何もしないことだけが賢明な道であるとし,事実,何もしなかった.経済的には,日本の農業政策は失敗だった.今日,日本の農業は先進国の中で最低水準にある.残った農民に膨大な補助金を注ぎ込みながら,かつてない割合で食料を輸入している.その輸入は先進国の中で最大である.しかし,社会的には何もしないことが成功だった.日本はいかなる社会的混乱ももたらすことなく,いずれの先進国よりも多くの農業人口を都市に吸収した.

もう一つの成功は,これまた検討の末何もしなかったことによるものだった.彼らは小売業の問題にも取り組まなかった.60年代の初めにいたってなお,先進国の中で最も非効率的でコストの高い時代遅れの流通システムをかかえていた.それは19世紀よりも,むしろ18世紀のものに近かった.高いマージンでようやく食べていける家族経営の零細商店からなっていた.経済界やエコノミストは,流通業の効率化なくして日本経済の近代化はないと主張した.しかし,官僚は近代化を助けることを拒否した.それどころか,スーパーやディスカウントストアのような近代流通業の発展を妨げる規則を次々に設けた.流通システムは経済的にはお荷物であっても,社会的にはセーフティネットの役を果たしている.定年になったり辞めさせられたりしても,親戚の店で働くことができるとした.当時の日本では,失業保険や年金は充実していなかった.40年後の今日,流通業の問題は社会的にも経済的にもほぼ解消している.家族経営の商店はいまでも残っているが,特に都市部では,そのほとんどが小売りチェーンのフランチャイズ店になっている.昔のような暗い店は姿を消した.一元管理の明るく綺麗な店になっている.世界で最も効率的な流通システムといってよい.しかも,かなりの利益を上げている.

官僚の行動を規定することになった第三の経験は,前述の二つとは異なり,失敗の経験だった.その失敗の経験も,先送り戦略の正しさを教えた.そもそも失敗したことが,先送りの知恵を忘れた結果だった.日本は1908年代において,他の国ならば不況とはみなされないような程度の景気と雇用の原則を経験した.そこへ変動相場制移行によるドルの下落が重なり,輸出依存産業がパニックに陥った.官僚は圧力に抗しきれず,欧米流の行動を取った.景気回復のために予算を投入した.しかし結果は惨憺たるものだった.先進国では最大規模の財政赤字を出した.株式市場は暴騰し,株価収益率は50倍以上になった.都市部の地価はさらに上昇した.借り手不足の銀行は憑かれたように投機家に融資した.もちろんバブルははじけた.こうして金融危機が始まった.銀行,保険会社,その他の金融機関が,株と土地の評価損と不良債権を抱え込んだ.

その後の事態も,行動より先送りが正しいという官僚の確信を強めた.ごく最近の二年間においても,政治家,世論に加えワシントンからの圧力もあって,日本政府は他の先進国では見られない規模の資金を投入している.今日のところ,その効果は現れていない.

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