「豊かなる衰退」と日本の戦略―新しい経済をどうつくるか

「豊かなる衰退」と日本の戦略―新しい経済をどうつくるか
横山禎徳,ダイヤモンド社,2003

「豊かなる衰退」と日本の戦略―新しい経済をどうつくるか

今後,日本では,かなりの勢いで人口が減少していく.日本という国は衰退していく.この事実を認めた上で,日本の目指すべき方向性について論じている.著者が提唱するのは,既存の地域や組織,そして価値観に囚われない,社会システムのデザインである.日本全体で画一的な公共事業と自然破壊を行うことを良しとしてきた過去と決別し,日本経済の中心としての「拡大首都圏」を構築し,「一人二役」,「二次市場」,「観光立国」の主たる三つの施策を推進することによって,新たな消費市場の形成,高齢者と女性の雇用創造,出生率の改善,老人医療費抑制などを実現させようと主張している.部分的には納得できなかった点もあるが,これからの日本のあるべき姿を描き出し,その姿を実現するために必要な施策を断行すべきであることは,まさにその通りである.残念ながら,今の日本の政治と行政にはその能力はない.期待もできない.前向きな市民が政治を動かす意志を持ち,その力を行使すべきである.

「豊かなる衰退と日本の戦略」についてのメモ

「成功の犠牲者(victim of success)」という表現がある.過去の成功体験が忘れられず,あるいは無意識のレベルまで染み渡っていて,新しい環境にうまく適応できないことをいう.まさに今の日本は「成功の犠牲者」という極めて難しい状況に置かれている.

こだわりを捨て,「衰退」という大前提を置くと,これまでもやもやとしていた「世の中」のいろいろなことがはっきりと見えてくるはずだ.成長軌道への回復を目指して,効果の薄い努力に苦労することはむなしい.逆説的に「衰退」を前向きに捉えていろいろな施策を考案し,議論し,実行する方が人々の気持ちも高揚し,成果も出やすいのではないか.なぜなら,この「衰退」は単なる衰退ではない.「豊かなる衰退」だからである.

これまでの歴史に見られるような,いわば濁流に呑み込まれるような「衰退と崩壊」ではなく,これまで人類が経験したことのない平和と豊かさの中でじわじわと水没するような「衰退」に日本は直面している.いや,「衰退」と呼ぶべきではない,「成熟」だという反論も十分ありうる.「成長から成熟へ」はそれなりに心地よい.「成熟経済」という発想は,一見納得感がありそうに思える.しかし,それは自己欺瞞に近い.かつて「敗戦」を「終戦」と呼び,「占領軍」を「進駐軍」と呼んだことと似ている.しかし,実際は「敗戦」であったことを全国民が骨身にしみて理解していたからこそ,戦後あれだけ努力し復興を遂げたのではないだろうか.「成熟経済」を前提とした施策を考えてみるといい.あまり創造的発想がわいてこないことにすぐ気が付く.「成熟」という名の「停滞」の中で,一体何をすればよいのか.伸びない経済であれば,年金制度の改革等による公平性の確保とか,大きくならない経済のパイについて,弱者に目を向けた分配をするための施策を推し進めることなのだろうか.しかし,やり方を間違うと,それでなくとも低い労働生産性を落とし,経済をいっそう停滞させるという悪循環になりかねない.

どんな新しい商品でも市場は急速に新規需要から買い替え,買い増し需要中心に変わっていく.従って,リピート客確保が重要になる,そのためには商品の「品質保証」だけでは不十分だ.故障しないのは当たり前と顧客は思っている.今後は「利用価値保証」をすることによって,はじめて必要十分な条件を満たす.「利用価値保証」のためのサービスにかかわる従業員は,メーカーの間に急速に増えていく.これは,製造そのものが中国に移っていくことと裏腹の関係にある.これ自体は産業の空洞化ではない.商品の企画開発は,相変わらず日本で行われる.そのためにはサービス・メンテナンスからの顧客満足度に関するフィードバックが,これまで以上に重要になってくる.製造部門優位の価値観も変わる.こうして製造業という分類の就業者も,その多くがサービス業の就業者であるという実態がいっそう進展するだろう.

出生率低下の対策として,移民を受け入れてはどうかという考え方もある.しかし,政治的に難題であるだけでなく,問題の掘り下げも足りない.まず短期的には,今後の構造改革の進展の度合いにかかわらず,失業者は増大していく環境下で,未熟練の「外国人労働者」を受け入れようという議論はほとんど成り立たないだろう.日本は多民族国家になるのだという大決心をしないままで,なし崩しの移民増加ということは成り立たない.それらの議論を乗り越えることができても,人口の自然増加に貢献するには毎年数十万人レベルの移民を受け入れないといけない.現在日本に滞在している外国人労働者は,約70万人といわれている.毎年それと同規模の移民を受け入れる計算になる.その規模は膨大である.アメリカの年間移民受け入れ規模に匹敵する.

根拠のない楽観論や希望的観測の日本経済回復論はやめ,日本の置かれている状況を冷静に直視すべきである.短中期的停滞現象ではなく,長期的衰退の始まりであるという見方が素直で妥当な見方だ.これが「世の中の流れ」である.しかし,何も悲観的になっているのではない.全く新たな経験である「豊かなる衰退」という状況を積極的に活用し,新たな日本の魅力ある方向を提示しようとしているのである.

ジェイン・ジェイコブスのいうように,都市が自然な経済単位ということだとすると,「日本」ではなく,都市圏ごとに議論すべきである.日本全体は衰退しても,「○○都市圏」は発展しているという状況を作り出すという発想はできないのか.また,それをよしとしてはいけないのか.それがここでの問題提起である.つまり,十把一絡げではなく,「場合分け」をして考える思考への転換である.投資効果の高いところに優先的に資源投入をするという発想に変わる.それは地方に対する差別ではないかという反論が当然あるだろう.「日本全体の均衡ある発展」を目指してきた方針に確かに反する.しかし,既に日本はシビル・ミニマムを確保するための「均衡ある発展」の段階を成功裡に終えたのである.日本には地域格差は存在するにしても,極度の貧困地域やインフラ未整備の地域は存在しない.ここではっきりとギヤ・チェンジが必要だ.これからの資源投入は,「投資対効果はつじつまが合うのか」ということを全面に押し出すフェーズに日本は入ったのである.いや,1980年代の初頭にはそのフェーズに入っていた.にもかかわらず,ギヤ・チェンジを先延ばしにしたのが巨大な財政赤字の理由でもある.ロウのまま回転を上げ続け,日本経済のエンジンをダメにしたのではないのか.限られた都市圏に集中的に臨界量以上の投資をすることによって発展を促し,他地域はその波及効果を享受するというアプローチの方が,日本全国に薄く資源配分するより,全体として経済合理性が高い.このことへの理解を深めていかないといけない.

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