エリートの反逆―現代民主主義の病い

エリートの反逆―現代民主主義の病い
クリストファー ラッシュ,新曜社,1997

エリートの反逆―現代民主主義の病い

現代社会の問題,特に民主主義が機能不全に陥っている原因を,大衆の反逆ではなく,エリートの反逆として捉える.エリートが極めて自己中心的であること,歴史認識を欠いていること,マスメディアから垂れ流される情報によって大衆は議論する能力を奪われてきたことなどを指摘している.教育や宗教など話題は多岐にわたり,膨大な引用がなされており,非常に内容の濃い本である.しかし,きちんと理解するのはかなり難しい.

「エリートの反逆」についてのメモ

リップマンの主張は意見と学問の截然たる区別を基礎にしていた.後者のみが自らの客観性を主張しうる,と彼は考えた.一方,意見のもとになっているのは,曖昧な印象や偏見や希望的観測といったものである.専門主義に対するこうした信仰が近代ジャーナリズムの発展に決定的な影響を与えたのだ.うまくすれば新聞は,拡大町民会のような役割を果たしえたであろう.ところが新聞は,客観性に関して誤った理念を抱き,信頼するに足る情報−すなわちそれは,議論を促進するのではなく,それを押し黙らせてしまいがちな情報である−の普及を自らの目標と定めてしまった.この結果として生じた最も奇妙な特徴は,もちろん次の事実である.すなわち,新聞やテレビやその他のメディアのおかげで,いまやアメリカ人は情報に溺れそうになっているというのに,調査をするごとに,公共的な問題に関する彼らの知識がますます乏しくなっていることが明らかになる,という事実である.「情報時代」にありながら,アメリカの民衆が情報不足の状態にあることはよく知られている.一見したところ逆説と見えるこの事実の原因は,めったに言われることがないけれども,明瞭である.すなわち,それだけの能力がないという理由で公共的な議論から事実上締め出されてきたために,自分達に与えられるこれほどまでに膨大な量の情報をどう活用してよいのか,大抵のアメリカ人はもはや皆目わからなくなってしまっているということである.彼らは,彼らに対する批判者達がいつも主張してきたのとほとんど同じくらい無能になってしまったというわけだ.ここで我々は,有益な情報への願望を喚起するのは議論そのものであり,議論だけだということを忘れないでおくことにしよう.民主的な意見の交換が欠けているところでは,人は大抵,有能な市民となるのに不可欠な知識を習得しようとする動機付けを失ってしまうのである.

オルテガその他の批評家達は,「徹底的な恩知らず」と無限の可能性に対する疑念なき信念とが結びついたものとして,大衆文化を描いた.オルテガによれば,大衆人は文明が与える利益を当たり前のものと考え,それを「あたかも当然の権利であるかのごとく横柄に」要求する.彼らは過去のあらゆる時代の相続人であるのに,能天気にも,過去に対する恩義をまったく意識することがない.彼らは一般的な「歴史的水準の上昇」から生じる数々の利点を享受しながら,先祖や子孫に対して自らが負っている義務をまったく感じない.彼らは自己の他に権威というものを認めず,あたかも自分が「自分という存在の主」であるかのように振る舞う.彼らは「歴史に対して信じられないほど無知」であるために,現在という瞬間を過去のどの文明よりもはるかに優れたものと考えたり,さらには現代の文明それ自体,過去何世紀にもわたる歴史的発展の産物であって,過去に背を向けることによって進歩の秘訣を見出した一時代の独自の偉業などというものではないということを忘却したりできる.

ブラウンソンがその前年に書いた,これと密接に関連する論文を,彼の論文「労働者階級」を賞賛はするがその議論の方向性を取り違えている歴史家達は無視しているが,その中で彼は,ホレス・マンの教育改革は知性を民主化するどころか,「現時点で優勢な意見」を公立学校に押し付ける権威を持つ教育制度を設立することによって,祭司支配の近代的形態を作り出すものだと指摘している.あらゆる祭司的ヒエラルキーと同様,ただ単に「赤貧と犯罪を取り調べ,富裕な者達の独占的所有を安全ならしめる最も効果的な手段」として機能するだけの,「教育制度という名の」「法によって定められた宗教まで我々は抱え込むことになるだろう」と,ブラウンソンは主張する.「昔の聖務日課」は「廃止」されてしまったが,出版,文化ホールその他の民衆教育のための機関を犠牲にして学校の設置を振興することで,マンとその協力者達は事実上それを復活させることをもくろんでいる.マンの改革は教育に対する独占的な支配権を学校制度に付与することによって,民衆の自己教育能力を弱体化させる文化的労働の分裂を促進している.教育を施す機能は共同体全体にあまねく普及されるべきなのに,専門スペシャリスト階級に集中化されてしまうことになるだろう.教育制度はまさに祭司制度や軍事制度と同じくらい危険である.何となれば,その提唱者達は,子供達が最も「良く教育されるのは路上で,自分の仲間達の影響によって,・・・人が自分に示す情熱や感情によって,自分が聞き入る会話によって,そしてとりわけ共同体の一般的な仕事や習慣や道徳的傾向によってである.」ということを忘却してしまっているからである.

エリート達の孤立性の増大は,他の何にもまして,政治的イデオロギーと一般市民の関心との乖離を意味している.大抵の場合,政治的論争は,近頃のうまい表現で言えば「議論する階級」に限定されているために,次第に内輪向きで紋切り型のものとなる.思想はもったいぶった専門用語や条件反射という形態をとって循環し,再循環する.左翼と右翼の旧式の論争は,何が問題なのかをはっきりさせ,現実に関する信頼に足る地図を提供する能力を使い果たしてしまった.ある人々においては現実という観念そのものが疑問視されるに至る.恐らくそれは,議論する階級が現実のシミュレーションが物事そのものに取って代わってしまう人工的世界を生きているからであろう.

キング牧師は民主主義について多くの民主主義者よりも包括的な理解を有していたが,その幅広い理解もまたポピュリズムの遺産の一部である.1920年代にウォルター・リップマンが,世論というものはどうしても無知蒙昧なものになりがちだから,政府は専門家にゆだねられるべきである主張し始めたとき,ジョン・デューイは正しくもこの見解に真っ向から反論した.リップマンにとって民主主義とは,ただ生活上のよきものに誰でもが近づきうるということを意味するものでしかなかった.デューイからすれば,民主主義とは普通の男女が「責任を引き受けること」,また「精神と人格の安定したバランスの良い発展」に基礎をおくものでなければならなかった.ただ彼は,巨大な組織とマスコミュニケーションに支配される世界に,どうやれば責任感を根付かせることができるかを説明し得なかった.民主主義の古典的な理論家達は,地域レベルを超えたところで自己統治が有効に機能しうるかどうか疑問に思ったのだ−それこそまさに彼らが可能な限り地域主義を愛した所以である.デューイは「人類がそれぞれの故郷に・・・帰っていく動き」に期待したが,そうした帰還がどのようにして生じるのか,読者に語ることができなかった.なぜなら彼は,「家族や教会や近隣集団の解体」とともに,中央集権化の不可避性を自明なものと考えていたからである.デューイとリップマンのやりとりから浮かび上がって来るのは,民主主義とは個人の行為に関する高い基準を意味するものかどうかという,厄介な問題である.現代の多くのリベラリストとは違って,デューイは明らかにそう考えた.「民衆とその諸問題」の中で彼は,警告口調でこう書いている.「かつて個人個人をとらえ,彼らに人生観の支えと方向と統一性を与えていた忠誠心は,あらかた消え去りつつある」と.本の表題が意味しているのは,どうやってそれを再構築するかという問題である.他の進歩的な思想家,とりわけチャールズ・H・クーリーと同様,デューイは,民主主義は凡庸さ,自己耽溺,快適さに対する過度の愛好,ぞんざいな仕事ぶり,優勢な意見に対する臆病な同調といったものを助長すると主張する民主主義批判者達を,必死になって論駁しようとした.民主主義は卓越せるものと両立しがたく,高い基準などというものを求めるのは本来エリート主義的(今日ならさしずめ性差別主義的とか,人種差別的とかいったところであろうか)であるという思想は,いつでも民主主義に対する最高の反論になってきた.残念なことに,多くの民主主義者も密かに(ときにはそれでは密かでない場合もあるが)そのような信念を共有し,したがってまたそれに反論できないでいる.彼らはそうするかわりに,民主的な人間は自分達が人格という点で欠けているものを寛容の精神で補い合うのだという主張にもたれかかるのである.・・・リベラリスト達は常に,市民の徳というものがなくても民主主義はやっていけるという立場をとってきた.このような考え方からすると,民主主義を機能させるのはリベラルな諸制度であって,市民の人格ではないということになる.民主主義とは人々が差異を抱えながら生きていくことを可能にする諸制度だというわけである.しかしながら,限に生じつつある市民としての能力や市民間の信頼関係の危機は,人格に対置されるものとしての制度が民主主義に必要なすべての徳をもたらすという心地よい仮定に対して,重苦しい疑念の暗雲をたれこめさせている.市民としての能力の危機はアメリカ史に関する修正主義的な解釈の必要性を意味する.すなわちそれは,リベラリズムの誕生に先行する道徳的・宗教的な伝統という借用資本に,リベラルな民主主義がどれほど多くよりかかってきたかを強調する歴史観である.この修正主義における第二の要素は,古典的な共和主義と初期のプロテスタント神学に由来し,市民の徳をさほど重要でないとする幻想をいささかももたない,これまで等閑視されてきた思想的伝統への高度の敬意である.かつて人々に「人生観の支えと方向と統一性」を与えた忠誠心をよりよく理解するようになればなるほど,民主主義を啓蒙された利己心や「開放性」や寛容ではなく,もっと高いものを人に要求する何かを意味するものとして理解した思想家達―エマーソン,ホイットマン,ブラウンソン,ホーソーン,ジョサイア・ロイス,クーリー,デューイ,ラルフ・ボーン―に指導を仰ぐ必要性が,ますます高まるであろう.

これは単に,民主主義は生き残れるかどうかという問題ではない.我々がいつでも一生懸命になって回避しようとしてきた問題に新たな切迫感を与えようというのであれば,それだけでも十分である.だがもちろん,もっと深い問題は,果たして民主主義は生き残るに値するかどうかという問題なのだ.どんな魅力がそれに備わっていようとも,民主主義そのものは目的ではない.それは,優れたもの,芸術や学問上の優れた作品,優れた人格類型を生み出すのに成功したかどうかで判断されなければならない.ウォルト・ホイットマンは「民主主義の展望」の中でこう書いている.「独自の芸術形態」,独自の「宗教的・道徳的特徴」,「わが西洋世界にいままで知られているどんなものよりも優れた国民を作り出す」であろう「完璧な人格」の「基礎を築いてそれを豊かに成長させるまでは」,「民主主義は決して屁理屈以上のものになることはできない」.民主主義の試金石は,それが「誰にも共通で,すべての人を象徴するような英雄,奇人,偉業,苦難,繁栄または不運,栄光または恥辱の集合体」を生み出せるかどうかである,とホイットマンは考えたのだ.開かれた精神という理想を(たとえ結局はそれが空っぽの精神のことだとわかっても)愛好する人々にとって,英雄,奇人,栄光,恥辱といった,このような語り方は,自動的にうさんくさいものと聞こえる−というより実際にはぞっとするものに聞こえるだろう.「だれにも共通な」ものとしてのヒロイズムというモデルへの呼びかけは,民主主義が擁護しなければならない倫理的関与の多元主義にとって驚異となるもののように見えるからだ.しかしながら,共通の基準というものが欠如しているところでは,寛容は無関心となり,文化的多元主義は隣人達の風変わりな習俗が玄人好みの風味とともに賞味される審美的な見せ物に堕してしまう.しかしながら我々の隣人達は,個人としては,いかなる種類の価値判断にも決して付されることがないのだ.いまはやりの多元主義に関する概念,あるいは誤った概念のもとでは,倫理的な判断が停止されてしまう結果,そもそも「倫理的関与」について語ること自体が不適切なものと化すのである.文化的多様性に関する今日流の定義のもとで得られるものといえば,ただ美的な鑑賞あるのみである.妥協という望みももてないほど我々を隔てているとされる問題とは,結局のところ,今日流の言い回しで言えば,ライフスタイルの問題である.私はどんな服を着るべきか.私は何を食べるべきか.私は誰と結婚すべきか.私は誰と友達になるべきか.このような文脈にあっては,本当に重要な問題−私はいかに生きるべきか−さえもが趣味の問題,まったく個人的な趣味の問題,せいぜい宗教的あるいは倫理的な同一化の問題となる.だがこの,より深く,より困難な問題は,それが正しく理解された場合には,我々に忍耐,職人仕事,道徳的な勇気,廉直,敵対者への敬意といった没個人的な徳について語ることを要求しないではいない.さらにまた,そうしたものを我々が信じるのであれば,我々はそれらを良き生活の道徳的前提条件としてすべての人に勧める用意ができていなければならない.何から何まで「倫理的関与の多元性」に帰してしまうことは,誰に対しても何の要求もなしえないということ,また我々自身に対して何かの要求をなす権利を誰に対しても認めないということを意味している.かくして判断の停止は,倫理必然的に我々を孤独へと運命づける.もしお互いに進んで要求し合うということがないのなら,我々は最も初歩的な共同生活しか享受することができなくなるのである.よき生活とはいかなるものであるか,たとえ一致が見られないとしても−またそのような努力を我々は未だかつて真剣にやったことがないという点では同意が得られよう−,職人仕事,読み書きの能力,市民としての一般的な能力の最低限の基準については,我々はきっと一致を見ることができるであろう.そういうものがなければ,人に尊敬されるにしても,人を尊敬するにしても,その根拠がなくなってしまうのだ.民主主義社会には共通の基準というものを絶対に欠くことができない.特権の階層秩序を中心にして組織された社会は多様な基準を持つことができるが,民主主義にはそれができない.二重の基準は二流の市民精神を意味するのである.権利における平等性の認識は,民主的市民精神の必要条件ではあるが十分条件ではない.もし誰もが(よく使われる言い方で言えば)能力という手段を手に入れる可能性を平等に有するのでなければ,平等な権利は自負心というものを生み出しえないであろう.これこそまさに,人間とはみな似たりよったりだという感傷的なフィクションを民主主義の擁護の基礎とすることが誤りである所以である.実際,人の能力というものはそれぞれに異なっている(だからといってもちろん,我々は想像力を使って他人の生の中に入ってゆけないというわけではない).ハンナ・アレントが指摘しているように,その認識を後戻りさせてしまったのは啓蒙主義思想である.市民精神が平等を生み出すのであって,平等が市民としての権利を生じさせるのではない.アレントいわく,平等とは同一性ではなく,「したがって政治的平等はまさに死の前の平等・・・あるいは神の前の平等の対極をなすものである」.政治的平等−市民精神−はその他の能力において不平等な人間達を平等化するものであり,したがって市民精神の普遍化には市民としての技術に関する形式的な訓練のみならず,経済的・政治的責任の最も広範囲な分配を保証すべく作られた手段が必要である.そうした責任を行使することは,的確な判断,明確で説得力のある話し方,決断能力,自分の行為の結果を進んで引き受けようとする態度を教え込む上で,形式的な訓練よりも一層重要である.普遍的な市民精神が英雄達で満たされた世界を意味するのは,まさにこのような意味においてである.もし市民精神を空っぽな形式にしたくないのなら,民主主義はそのような世界を必要としているのである.民主主義はまた,寛容などより,もっと活気のある倫理を必要とする.寛容は素晴らしいものだが,それは民主主義の出発点にすぎないのであって,その目標地点ではない.今日民主主義のより深刻な脅威となっているのは無関心であって,非寛容や迷信などではない.我々は自己弁明術−もっと悪いのは「恵まれない人々」の弁明術−に長けすぎてしまっている.我々は自己の権利(大抵の場合それは法令によって与えられた権利である)を守るのに汲々とするあまり,自己の責任というものに思いが及ぶことがほとんどない.我々は他人を怒らせることを恐れるあまり,自分の考えを滅多に口にしない.我々は誰にでも尊敬の念をいだこうとするが,尊敬とは勝ち取らなければならないものであるということを忘れている.尊敬とは,寛容あるいは「オルタナティブなライフスタイルや共同体」を理解することの別名ではない.そんなものは道徳に対する旅行者的見解にすぎない.尊敬とは,賞賛すべき偉業,賞賛に値する陶冶された人格,よい使われ方をしている天賦の才といったものをまえにしたときに経験するものである.尊敬の念には,無差別な受容ではなく,差別化する判断がともなうのである.・・・ばかの一つ覚えよろしく,人種差別やイデオロギー的狂言の問題に強迫的にとらわれている人々の視点からすると,民主主義が意味するのはただ一つのこと,すなわち彼らが言うところの文化的多様性の擁護だけでしかない.だが,民主主義の友が対決しなければならない,はるかに重要な問題はいくつもある.たとえば,市民としての能力の危機,無関心や息の詰まるようなシニシズムの蔓延,「開かれていること」を最高に価値あるものとする人々に見られる道徳的な麻痺状態といったものが,それだ.1870年代にウォルト・ホイットマンは書いた.「今よりも,ここアメリカよりも,もっと大きな心の空洞が存在したことは恐らくなかった.偽りのない信念というものは我々を置き去りにしていったように思われる」と.この言葉が今以上にピッタリとくる時代はかつてなかった.いつになったら我々は,進んでこの言葉に耳を傾けることができるようになるのだろうか.

かくして家族は,市場に対する平衡力という役割を果たすどころか,市場によって侵略され浸食された.感傷的な母性崇拝は,その影響力が頂点に達した19世紀の後半においてさえ,貨幣が普遍的な価値尺度となっている時代には無報酬労働は社会的劣等生の烙印を押されなければならないという現実を覆い隠すことができなかった.結局のところ,女性達は職場に押し込まれることになったが,それは彼女達の家族が副収入を必要としたというばかりでなく,賃金労働が男性との平等を獲得したいという彼女達の希望を唯一表現する方法だったからであるように思われる.今日では,市場による家族の侵略に対して代償を支払っているのは子供達だということが,ますますはっきりしてきている.両親ともに職場へ行き,彼らが不在のときにだけ祖父母の存在が際立つような家族はもはや,市場から子供達を保護してやることができない.親がいないからテレビが首席ベビーシッターになる.その侵略的な存在感は,家族は成長途上の子供にとって保護された空間となることができるという未だに残る希望のすべてに最後の一撃を加える.いまや子供達は,ブラウン管の前に放ったらかしにしておいても大丈夫な年齢になってからずっと,外部世界にさらされっぱなしになっている.そのうえ子供達は,市場の諸価値をその最も単純な言葉に還元する暴力的だが魅力的な形態で,外部世界にさらされている.商業テレビは市場イデオロギーにいつでも潜んでいるシニシズムを,最も露骨なやり方で劇化して見せる.人生における最良のものは金銭には替えられないものだとする感傷的な伝統は忘れられて久しい.最良のものは明らかに多額の金銭を必要とするのだから,商業テレビで描き出される世界の中で,人は公正な手段あるいは汚い手口を使ってお金を追い求める.犯罪は割に合わないものだという観念−これまた見捨てられてしまった伝統−は,法的強制は勝ち目のない戦であり,政治的権威は犯罪シンジケートの前では無力であるばかりか,しばしば犯罪者を取り調べようとする警察の努力を妨害するものであり,すべての紛争は暴力によって解決されるのであり,暴力に対する良心の咎めは良心を持つ者に敗者の地位を運命づけるものであるといった認識に,その座を譲る.

コミュニタリアン達は社会的信頼の崩壊を嘆くが,民主主義においては人間相互の敬意こそ信頼の唯一の基礎であることを,しばしば見落としている.彼らは正しくも,権利と責任の均衡をとるべきことを主張するが,彼らが関心を抱いているのは,個人の責任よりも共同体全体の責任−つまり一番不運な構成員に対する共同体の責任−であるように思われる.「よき社会」の著者達が「民主主義とは関心を払うことを意味する」と言うとき,彼らは我々のうちに共通善の感覚を呼び覚まし,他者の欲求に対して我々を盲目にしている利己的な個人主義と闘おうとしている.だが今日,民主主義の力を損なわしめているのは,困っている人を助けることに対する躊躇であるよりもはるかに,相互に注文を出し合うことへの躊躇である.我々は我々自身が善なることについて,あまりに安易に,あまりに寛容になりすぎてしまった.共感的理解という名のもと,我々は二流の職人仕事,二流の思考習慣,そして個人的行為に関する二流の基準を容認してしまっている.我々は行儀の悪さや多種多様な低劣な言葉−それはいまやどこでも見られるものとなった陳腐なスカトロジーから複雑な学問的逃げ口上にいたる広い範囲で存在する−に我慢しなければならなくなっている.我々は相手の心を変えてやろうという望みをかけて,あえて人の間違いを正したり,人と議論したりすることを滅多にしなくなっている.そうするかわりに我々は,大声で人を押し黙らせるか,誰でも自分なりの意見を持つ権利があるなどと言って,意見が噛み合わなくてもそれでよしとするかしている.今日の民主主義は不寛容ではなく,むしろはるかに無関心によって滅びつつある.寛容と理解は重要な徳であるが,それが無感動の弁明となってはならない.

我々に必要なのは指針であって,善なる意志を一般的に論述してすませることではない.ベラーが言うところの「生成の政治学」なるものを,もしコミュニタリアン達が真剣に考えているのであれば,彼らは子供を育てることを昔よりも難しくさせていると広く信じられている諸条件に本腰で取り組む必要がある.何でも許してしまう道徳的雰囲気,子供達が早いうちから性と暴力にさらされ続けていること,子供達が学校で出会う道徳的相対主義,子供達をどんな制約にも我慢できなくさせてしまう権威の失墜,親達はそういったものに非常な戸惑いを感じているのだ.中絶に対する反対意見の多くは同様な関心のあらわれであり,それは家族構造と同様,単に中絶は私的な選択の問題とすべきだという立場を取ることではどうにもならないものである.道徳の私事化は共同体崩壊のもう一つの指標であって,一方で公共哲学の必要性を説きながらも,そうした展開に唯々諾々として従うコミュニタリアニズムは,真摯な議論の対象となることを期待してはならない.

マンは自分のことを(専制政治への反対の意思を表すために)共和主義者と呼んだが,共和主義的伝統の中で大いに関心を集めてきた武勇の徳と市民精神の繋がりを全く理解していなかった.その自由主義経済学によってそうした伝統に壊滅的な一撃を加えたアダム・スミスでさえも,市民的武勇の徳が失われていくことを嘆いた.「自分で防衛も復讐もできない人間は,人間としての徳性の最も重要な部分の一つが明らかに欠けている」と.スミスの見方によれば,「丁重さと礼儀正しさの時代には,一般的な安全と幸福が広がる」結果,「危険なものに立ち向かったり,我慢仕事や空腹や苦痛に耐えたりする練習の場が非常に少なくなっていく」のは,嘆かわしいことだったのだ.スミスによれば,商業が発展するにつれてそのようになっていくのは致し方ないことなのではあるが,にもかかわらず,人間にとって,したがってまた市民精神にとって極めて本質的な資質が消滅していくのは,憂慮すべき発展であった.商業ではなく,政治と戦争こそが「克己心の偉大な学校」という役割を果たす.もし商業がいまや「戦争と分派」に取って代わって人類の主要な仕事になりつつあるのであれば,教育制度は国事に関することではもはや獲得できなくなっている弛緩した自律的諸価値を引き締めるものとならなければならないであろう,というわけである.

マンの教育哲学の非常な弱点となっているのは,教育がなされうるのは学校の中だけだという思い込みである.マンはこの致命的な思い込みを,それ以降の代々の教育者達に自分の知的遺産の一部として遺贈したなどというのは,恐らくフェアではない.何のかんの言っても,学校の向こう側にある世界を見る能力の欠如−学校と教育が同義語であるかのごとく話したがる傾向−は,恐らくは専門的な教育者の職業上の落とし穴,仕事のうちに組み込まれた盲目さの一形態と見なされてしかるべきものだからである.とはいえ,マンはそれに公のお墨付きを与えた最初の人物の一人であった.この点に関する彼の考え方は,彼が言葉の限りを尽くして語っていることよりも,彼が書き落としてしまったことの方にはっきりと表れている.政治や戦争や恋愛−いずれも彼が嘆かわしく感じた書物の基本テーマ−といった活動がそれ自体で教育的価値を有するということなど,彼にはただ思いもよらないことであった.

それは,今日教育がおかれている状況にマンが喜ぶだろうという意味ではない.逆に彼は背筋を寒くするであろう.しかしながら,そのおぞましさは少なくとも間接的には,彼がかつて関係した道徳的理想主義のために未発酵に終わった彼自身の思想の帰結である.我々はマンの最悪の部分を我々の学校のうちに取り入れ,どういうわけか最良の部分を不覚にも見失ってしまっている.我々は教員免許状のために必要な資格を念入りにこしらえることによって教育を専門化したが,教育は名誉ある仕事であるというマンの考えを制度化することには失敗した.我々は学問的水準を高めたり教育の質を改善することなしに,広範囲に及ぶ教育の官僚制を作り上げた.教育の官僚制化は反対の帰結をもたらし,教師の自律性を弱め,教師の判断を行政官の判断ですげかえ,教師となるに相応しい才能を持った人々からその職業に就こうとする意欲を失わせた.我々は純粋に学問的な科目だけを強調することはやめよというマンの忠告に従ったが,その結果として生じた知的強靱さの喪失の見返りになるほど,マンが非常に重要視した人格的特徴−すなわち自助自立の精神,礼儀正しさ,満足の遅延能力といったもの−を育成する学校の能力に改善がみられたというわけではない.知的鍛錬が「社会的技能」の犠牲になっているという周期的に生じる再発見は,教育の道徳的次元を救わなければならないというマンの自覚さえも欠いた,ただ教育の認識的次元のみを強調する誤った考えに我々を導いてきた.学校は神話や物語や伝説から遠ざかり,ありのままの事実に張り付いているべきだと主張する,マンの想像力に対する不信と狭苦しい真理概念を我々は共有しているが,今日では許容可能な事実の範囲はマンの時代よりもさらに痛ましいほど限定されている.・・・マンと同様我々は,学校は我々を悩ませているあらゆる問題に対する万能薬だと信じている.マンとその同時代人達は,良い学校は犯罪や青少年非行を根絶し,貧困を一掃し,「遺棄され,のけ者にされている子供達」を有為の市民に作りかえ,貧富差の「偉大なる平衡装置」という役割を果たすことができる,と主張した.本当は彼らは,いくつかのもっと控えめな期待から出発すれば良かったのだ.ホレス・マンがマサチューセッツ州の学校管理を引き受けてから150年,もし我々がそこに学んで良い教訓があるとすれば,それは,学校は社会を救うことなどできないということである.犯罪と貧困はいまだ我々のもとにあり,貧富の差はまだまだ広がり続けている.一方で子供達は,いや青年達までもが,ろくに読み書きできなくなっている.恐らくは,すべてをやりなおさなければならないときが−もしその時機をもう逸してしまったのではないとすれば−来ているのだ.

情報時代の数々の驚異にもかかわらず民衆を無知な状態にしているのは,学校(それもまた酷いが)などではなく,公共的論争の衰退である.論争が失われたわざとなるときには,情報など,それがどんなに容易に入手できたところで,何の意味もないのである.民主主義が必要としているのは大いなる公共的論争であって情報ではない.もちろんそのためには情報も必要であるが,民主主義に必要な情報は論争によってのみ生み出される.我々は正しい問いを発するまで自分が何を知る必要があるのかを知らないし,世界に関する自分の考えを公共的論争という試験にかけることによって,はじめて我々は正しい問いとはいかなるものかを知ることができるのだ.情報は普通論争の前提条件と見なされているが,論争の副産物と理解する方がよい.我々は自分の注意力に焦点をあたえ,それを十分に喚起する議論に加わるとき,有効な情報の貪欲な探索者となる.それ以外の場合,我々はただ受動的に取り入れるだけなのだ−もし取り入れるということが生じうるとして.

我々が信頼に足る情報を探索するのは,一定の行動経路について議論している間に生じる疑問に導かれてのことだということである.自分の好みや目論見を討論するというテストにかけることによってのみ,我々ははじめて,自分が何を知っており,さらにまだ何を学ぶ必要があるのかを理解するに至るのだ.人前で自分の意見を擁護しなければならなくなるまで,その意見はリップマンが軽蔑的に言うところの意見−ランダムな印象と吟味されない仮定に基づく中途半端な確信−たるにとどまる.それをそのようなカテゴリーとしての「意見」から上向させ,それにはっきりした形と定義を与え,他者がそれを自分自身の経験の描写として認知することができるようにするのは,自分の見解を明確に整理し,擁護するという行為を通じてである.簡単に言えば,我々は自分自身を他者に説明することによって,はじめて自分の心を知るにいたるのである.他者を自分の見方に従うように説得しようとする努力には,もちろん逆に,ひょっとすると彼らの意見を受け容れなければならなくなるかもしれないというリスクが伴う.たとえ相手に反論するためという目的にせよ,我々は頭の中で相手の議論に入り込まなければならないわけだから,説得しようとしている相手に最後は説得されてしまったなどということが起こりうるわけだ.議論はリスクがあって見通しがきかず,だからこそ教育的である.我々は大抵議論を,(リップマンがそう考えたように)競合し合う教義の衝突であり,どちらの側も何の根拠も持たない大声合戦と考えがちである.だが大声で相手を黙らせたところで,議論に勝てるわけではない.議論に勝つとは,相手の心を変化させることだ−そしてそれは,対立する主張に敬意を持って耳を傾け,さらにはそれを主張する者に,その議論には誤ったところがあることを説得するときにのみ生じる.こうした活動の過程で,自分の議論に誤ったところがあるという判断を下すことも,当然ありうるわけである.

党派的な報道機関の没落と,客観性に関する厳しい基準を信条とする新しいタイプのジャーナリズムの台頭は,有益な情報の安定した供給を保証するものではない.しっかりとした公共的議論によって生み出されたものでないのであれば,情報の大半はよくても役に立たないものであるにとどまるか,悪くすれば人を誤った方向へ導き,人を操るものとなる.ますます多くの情報が,何かあるいは誰か−生産物,主義主張,政治的候補者,官吏−を,その利益を論じることなしに,あるいはそれを自分に都合のいいものとして露骨に宣伝することで,人に押し付けたいと思う人々によって産出されるようになっている.報道機関ははなはだ熱心に情報を民衆に伝達することによって,もう一つのダイレクトメールとも言うべき情報水路になりはてている.それはまるで郵便局のように,誰も必要としない,そして大半が誰も読まないまま最後は屑と化してしまう,無益でわけのわからない情報を大量に送っているのだ.情報に対するこうした強迫観念の最も重要な帰結は,紙を生産するための森林破壊やますます深刻化する「廃棄物処理」責任の問題もさることながら,言葉の権威の失墜である.言葉が単に広告や宣伝の道具として使われるときには,言葉は説得力を持たなくなる.そうなるとたちまちのうちに,言葉が何かを意味するということ自体なくなってゆくのだ.人々は正確かつ表現力豊かに言葉を使う能力,さらには言葉を別の言葉と区別する能力さえも失う.話し言葉が書き言葉のモデルになるのではなくて,書き言葉が話し言葉のモデルとなり,日常の会話が印刷物に見るようなこわばった隠語めいた響きを発しはじめる.日常の会話が「情報」のように響きはじめるのだ−これはもう英語という言葉にとって回復不可能な災厄であろう.

経済上の階層化は,高等教養教育(お粗末なものではあるが)が,選り抜きのマイノリティから採用された少数の学生とともに,金持ちの特権となったことを意味している.高等教養教育の見せ掛けさえ放棄した施設へ送り込まれてくる大多数の大学生は,経営,会計,体育,広告,その他の実用的な学科を学ぶ.彼らはろくに作文の訓練もせず,滅多に本も読まず,歴史にも,哲学にも,文学にも触れることのないまま卒業してゆく.彼らが世界文化に接するとすれば,それはただ「社会学入門」とか「一般生物学」といった必修科目においてのみである.どのみち,彼らは大抵アルバイトに必死だから,本を読んだり思索にふけったりする時間などほとんどありはしないのだ.いわゆる「ヨーロッパ中心主義」カリキュラムの修正,人種的多様性と「感受性」を高めるための方策,ポスト構造主義の理論的含意といった問題について,リベラリストと保守主義者が論争を闘わせているあいだに,根本的な問題が気付かれることもないまま進行している.すなわち,リベラルな教養の民主化というアメリカ教育の歴史的な使命の放棄がそれである.

道徳的崩壊感,つまりアメリカの子供達はちゃんとした価値観を持つことなしに大きくなっているのではないかという信念についても語らなければならない.道徳的相対主義や「世俗的ヒューマニズム」の批判者達が問題を単純化しすぎるきらいがあるのは確かであるが,彼らの懸念は門前払いをくわせるべき性質のものではない.多くの若者はさまよえる道徳状態にある.彼らは「社会」が課す倫理的要求を自分の個人的自由に対する侵害だと言って憤慨する.彼らは自分の個人としての権利のうちには「自分固有の価値観を創造する」権利が含まれていると信じているが,それは自分のやりたいようにやる権利だなどというのは論外にして,それが一体何を意味するものなのかを説明することができない.彼らには,「価値観」とは道徳的義務に関する何らかの原則を意味するものだという考えさえ把握することができないようだ.自分達は「社会」から何の恩も被っていないと主張する−これは彼らが社会的また度徳的な問題について考えようとする際に支配的な非現実的観念である.もし彼らが社会的期待に同調するとすれば,それはただ同調しておけば最小限の抵抗しか受けなくてすむという,それだけの理由からなのだ.

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