タイトルに惹かれて読んでみた.著者は,「リング」や「らせん」の著者であり,主夫として2児の子育てもしたそうだ.ホラーとかに興味がないので,小説も映画も見ていないが...
「なぜ勉強するのか?」と子供から尋ねられて,自信を持って答えられるか.これは昔から私自身が考えてきたことでもある.だから,当然,自信を持って答えられる.本書を手にしたのは,その問いが新鮮だったからではなく,他者の視点に触れてみたかったからである.
ちなみに,私が本気で「勉強する理由」を考えたのは,高校一年生の4月だ.中学3年間は部活動に明け暮れていた.それしかしなかったと言ってもいい.高校でも当然続けるつもりだった.だが,高校に入学するとすぐに,「自分は何で生きるのか?」という問いが頭に浮かんできた.それまでは考えたこともなかったのに.正直,1週間ぐらいご飯も食べられないほど悩んだ.そして自ら出した答えが「勉強する」というものだった.その選択に悔いはない.正しかった.
さて,鈴木氏は本書で,理解力(読解力),想像力,表現力を身に付けることが大切であり,知識の獲得自体の重要性は相対的に低いと主張する.全くその通りである.これが成り立つのは,小中学校や高等学校ばかりではない.大学でも同様だ.実際,私が学生に対して要求するもの,在学中に身に付けて欲しいと思っているものは,論理的思考能力,日本語力,そしてプレゼン能力だ.決して専門知識ではない.
本書では様々な事柄が論議されているが,子供には明るい未来を提示せよという主張が貫かれている.これは大切なことだ.最悪なのは「昔は良かった」「世も末だ」「嫌な世の中になったもんだ」などという嘆きを子供に聞かせることです.これは百害あって一利なし.やる気を失わせるだけです.そう著者は主張している.
「なぜ勉強するのか?」という問いに対する著者なりの回答はこうだ.勉強は,小金稼ぎのテクニックを身に付けるためにするものではありません.理解力(読解力),想像力,表現力の能力を養って,世界を覆う膨大な量の情報を取捨選択し,世界に共通なものさし(論理)で判断し,価値あるディスカッションによってそれぞれの立場を戦わせ,よりよい解答を発見する可能性をほんのわずか高めることに,勉強の目的はあります.なぜ勉強するのか・・・,答えはおのずから明らかになります.人類の進歩に貢献するためなのです.
我が子を受験勉強に駆り立てる親御さんには,こういう視点で勉強を捉えて欲しい.また,テレビなどで「学校の勉強なんて役に立たないよ」と馬鹿丸出しの発言をしている人達には口を謹んで欲しい.
|